祭神

祭神

鎭國守國神社の神様

主祭神

鎭國大明神(ちんこくだいみょうじん)

従三位松平越中守定網公(じゅさんみまつだいらえつちゅうのかみさだつなこう)

由緒

松平定信公が白河城内の祖廟に定綱公を奉祀
 

守國大明神(しゅこくだいみょうじん)

正三位松平越中守定信公・樂翁公(しょうさんみまつだいらえつちゅうのかみさだのぶこう・らくおう

由緒

松平定永公が、定信公の霊を守國霊神として旭八幡社に祀る
 

相殿神

旭八幡大明神(あさひはちまんだいみようじん)

応神天皇(おうじんてんのう)・誉田別命(ほんだわけのみこと)

山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)

日吉大神(ひいのおおかみ)・大山昨命(おおやまぐいのみこと)

天満天神(てんまてんじん)

菅原道真公(すがわらみちざねこう)

八天宮(はってんぐう)

火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)

本殿

 本殿は全国的にも珍しい蔵造となっています。

 

拝殿

 大正8年(1919)に再建されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入、間口六間、正面一間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、浜縁、高欄付きです。

 

由緒

神社の概要

鎭國守國神社について

 鎭國守國神社は、「鎭國さん」「九華明神さん」と親しくよんで、古くから崇め敬ってきたお社です。

神社の始まり

 この神社は、天明四年(1784)松平越中守定信公が白河城内に鎭國神公を大鏡神と申し、祖神として祀ったのにはじまります。

国替

 そののち、寬政九年(1797)には鎭國大明神の裁許があり、文政六年(1823)に樂翁さま(定信公)の御子定永公(保国公)の奥州白河(福島県白河市)から勢州桑名(三重県桑名市)へ移封(国替)とともに桑名城内朝陽丸に遷祀され、天保五年(1834)樂翁さまを守國大明神と申しあげ、鎭國大明神とあわせ祀られました。

明治

 明治八年(1875)鎭國神社は村社となり、同十三年(1880)鎭國・守國神社両社ともに県社に列しました。明治四十一年(1908)には守國大明神に正三位が、大正六年(1917)に鎭國大明神に従三位が追叙されました。

戦後

 大東亜戦争後(第二次世界大戦)は、旧社格が廃され、宗教法人法制定にともない、宗教法人鎭國守國神社と称して、今日に至っています。

鎭國大明神

 鎭國大明神は、文禄元年(1592)一月二十五日、東照神公(徳川家康公)の異父弟松平隠岐守定勝公の第三子として、江戸田安邸において出生、慶長七年(1602)十一歳のとき将軍秀忠公に仕え、同十年(1605)越中守に任じられました。寛永十一年(1634)将軍家光公に従って上洛、その年七月に従四位下に叙せられ、あくる十二年四十四歳のとき濃州大垣(岐阜県大垣市)藩主(六万石)から桑名藩主(十一万石余)に移封されて、社寺増替・建立をはじめ、産土神(桑名宗社・春日さん)の石採神事を興すなど農林業・鋳物・陶業(万古焼)の開発、灯台建設、架橋・治水工事など、文武産業の振興につくされ、慶安四年(1651)十二月二十五日、六十歳をもって江戸八丁堀邸において没しましたが、ご事蹟により、「鎭國さん」と仰がれるようになりました。

守國大明神

 守國大明神は、宝暦八年(1758)十二月二十七日、八代将軍吉宗公の御子田安中納言宗武卿(御三卿の一)の第七子として、江戸田安邸において出生、安永三年(1774)幕命により、奥州白河藩主松平越中守定邦公の養子となり、あくる四年従五位下上総介に任じられ、天明三年(1783)越中守を継ぎ、同年十二月従四位下に叙せられました。天明七年(1787)三十歳にして老中首座に任じ、待従となられて七年間、幼主家斉卿を輔け、政治には公明正大、文武を興し、奢り戒めるとともに倹素を勧めるなど、世に云う寛政の改革をなしとげました。文化九年(1812)五十五歳で御子定永公に家をゆずり、江戸地の別邸に閑居して樂翁と号し、文政十二年(1829)五月十三日七十二歳をもって天寿を全うしました。このように名君賢相であったことから「たそがれの少将」「樂翁さま」と申して現在も敬仰されるとおり、深く学を好まれ、和歌や画も巧みで、著作も百三十余種にのぼり、国政、民政を通じて偉大な業蹟をとどめられ「守國さん」とも申しあげる由縁でもあります。

歴史

鎭國守國神社の歴史
元和六年(1620)

旭八幡社を松平定綱公(1592-1651)が桑名に勧請

旭八幡社=松平氏祖先(尾張国知多郡坂部村八幡社)の産土神

天明四年(1784)

松平定信公( 1758ー1829 )が白河城内の祖廟に定綱公を奉祀

寛政九年(1797)

定綱・鎭國大明神の神号を裁許

文政七年(1824)

定永公の白河から桑名に複封にともない桑名城内に造替

天保四年(1823)

松平定永公が、定信公の霊を守國霊神として旭八幡社に祀る

天保五年(1834)

守國大明神号の宣下がなされる(守國神社)

安政二年(1855)

定信・守國大明神の神号を裁許

明治八年(1875)

村社となる

明治十二年(1879)

内務省貯木場設置で社地収用、吉之丸49番地に移転

明治十三年(1880)

県社となる

鎭國大明神・守國大明神を主神とする

明治四十年(1907)

現在地に移転

大正九年(1920)

現本殿造替(大正期:狛大、灯篭、鳥居寄進)

昭和39年(1964)

拝殿玉垣整備

昭和41年(1966)

参道玉垣整備